2015年8月に創立30周年を迎えました

30年を振り返って

1985年8月、発足からの晴眼パートナー集めを

発足からの5年「晴眼パートナーを求めて!」
第1回のツアーは、赤十字奉仕団の方や、神奈川県ライトセンターの職員の方など、身近にいらした知り合いの方ばかりなので、社会に呼びかけて参加してくださる方をと言う事で、「ラジオ関東」(現在のラジオニッポン)で、「視覚障害の私達と一緒に、スキーをしてくださる方はいませんか?」という晴眼パートナー探しの放送をして頂きました。

その結果、当時東京都内にお住いの「福田さん姉妹」のお二人が、第1回のツアーに参加してくださいました。
クラブ最初の一般の方の「ボランティアさん」です。
記念すべき初ボランティアさんの現在東京都日野市にお住いの福室さん(旧姓 福田さん)からのメッセージです。

創立30周年に寄せて(福室 和子)

かながわブラインドスキークラブ創立30周年おめでとうございます。

クラブの記念すべき第1回スキーツアーにボランティアとして参加させて頂き、今回、こうして記念誌に寄稿させて頂ける事を大変光栄に思います。

当時、私は家業であるつまみ簪(かんざし)製造業に従事しておりました。
仕事柄、冬場は時間的余裕が有りましたので、スキー板と大きなリュックを担いで、あちこちのスキー場に滑りに行っていました。スキーを始めて10年余りの頃で「自分の好きな事で何か人のお役に立てる事はないだろうか?」と考えていた時でした。仕事中に聴いていたラジオからブラインドスキーへのボランティア参加の呼び掛けがあったのです。それを聴いた時に「これだ!」と思いました。しかし、それまで視覚障害者の方と一度も接した事がありませんでしたので、私にそんな大変なボランティアが務まるのかと1時間程逡巡しました。でも、ぐずぐずしていたら席が無くなってしまうという焦りと、資格も経験も問いませんと言っていたアナウンサーの言葉に背中を押されてドキドキしながら申し込みの電話を掛けました。

参加してみると、初顔合わせの時から直ぐに皆さんと打ち解ける事が出来、行き帰りのバスの中、ツアー中と楽しい時間を過ごす事が出来ました。
一方このボランティアをしてみて、視界に入った状況を言葉で表現し、どう動いてもらいたいかを伝える事の難しさ、そして自分自身の語彙の貧困さを痛感しました。その後、2回ツアーに参加しましたが、毎回ブラインドの皆さんの少しでも沢山滑りたいという意欲と体力に、ただただ敬服するばかりでした。

翌年の1986年、横浜市内全ての家庭に配布される「公報横浜」に掲載して頂こうと、市役所の広報課に行きました。ブラインドと晴眼者が一緒に滑っている写真と記事が掲載され、第2回のツアーには、小林 功弘さん、林 あきさんのお二人が、ボランティアとして参加してくださいました。
林さんからのメッセージです。

白い恋人たち ブラインドスキークラブの三十年(林 あき)

こんなに長く続くと思っていませんでした。私のブラインドスキーでのボランティアが三十年目に入っています。最初は「目の代役」になってくださいと「広報よこはま」のツアーへの募集記事でした。そのころは仕事、子育て、主婦の三役でゆとりのない毎日の生活でした。子どもが学校に入り、自分の時間が少しもてるようになりました。この大切な時間をちょっとでも、自分の大好きなスキーで何か社会に役立てることが出来たらと思っていました。

そんな思いが通じたのか、「目の不自由な人と自然の中でスキーを楽しもう。」という募集の記事を『広報よこはま』で見つけました。多少の不安もありましたが、当時、会長でいらした藤田 功三さんにお電話をすると、「ぜひ、お願いします。」と明るいお声で快く仲間に受け入れてくださいました。

初めて参加したツアーでは、数十名のボランティアが参加していましたが、現在でもツアーで活躍しているのは小林 功弘さんと私の二人になってしまいました。
広いゲレンデに後ろからの声掛けで。また、リーダーが下から笛をふいて方向を示す。前を滑ってもらい、その後ろから目の不自由なパートナーがついてゆく。その美しい二人の姿に感動しました。これは声と声との触れ合いによって心の信頼関係の大切なことを教えられました。振り返ってみますと、パートナーに動揺や不安のないように毎回、スキーの技術指導の大切さや難しさを痛感させられることばかりでありましたが、大好きなスキーを通して明るくやさしい仲間たちと思いきり滑る楽しさを、私の生きがいとしてくれたスキークラブの仲間に心から感謝しています。これからも、これまで実践したことをさらに深めて、私なりにゆっくりと楽しみながらボランティアを続けられることを願ってやみません。
最後にこのクラブの杖とも柱ともなってくださった藤田 功三さんたち歴代の会長さん、理論、技術を分かりやすくご指導してくださっている白崎 正彦さん、縁の下の力持ちのようにツアーがスムーズに運営できるようにお力添えをいただいている志村 好枝さんはじめ役員のみなさま、そして明るく楽しく心やさしいクラブの仲間たちに、シーハイル・シーハイル・シーハイル!

ツアー実施の歩み

1986年 第1回の記念すべきツアーはバスをチャーターして、越後湯沢「岩原スキー場」にて実施。
1987年 第2回から1989年 第5回までのツアーは、上越新幹線(当時は、まだ上野始発)で「石打後楽園スキー場」にて実施。
1989年 第5回のツアーから「実行委員会方式」で、計画されるようになりました。
1990年 第6回のツアーからバスをチャーターして、「丸沼スキー場」にて実施。
1990年 第6回から1992年 第8回までは、スキー場から少し離れた民宿を利用していましたが、1993年 第9回から、ゲレンデが目の前の「シャレー丸沼」を利用し、非常に楽に移動できるようになりました。

朝日新聞掲載

1990年 小林さんの紹介で、「朝日新聞」に掲載、多くの晴眼会員が増えました。
それにより、1992年の第7回から、丸沼スキー場と新たに長野県「エコーバレースキー場」にて、1シーズンで2回のツアーが実施されるようになりました。

NHKでラジオとテレビに!

1995年 丸沼ツアーのクラブ発足10周年の年に、「NHK 第2放送『視覚障害者と共に』」(日曜日の朝放送)が取材に来てくれ、30分間のラジオ番組で放送されました。
しかし、そのスタッフが、映像でなければブラインドスキーは分かってもらえないと言う事で、よく年(エコーバレースキー場」で、「NHK 教育テレビ」にクラブのスキーが収録され、30分間のテレビ番組で放映されました。

1996年 10周年記念ツアーが、北海道「キロロスキー場」にて、ツアーを実施。
2000年 カナダ「ウイスラースキー場」にて、有志20名に加え幼児1名が参加のツアーを実施し、憧れの海外スキーの念願をかなえました。
2004年 「ウイスラースキー場」の2000年のツアーでは、天候の悪化により、滑ってみたかったコースへ行けなかったため、再度「ウイスラースキー場」にて、ツアーを実施。
2005年 20周年記念ツアーが、北海道「富良野スキー場」にて、ツアーを実施。多くの会員が参加し、素晴らしく乾燥したパウダースノーを満喫した。
2010年 25周年記念ツアーが、北海道「糠平温泉スキー場」にて、ツアーを実施。パウダースノーと温泉を満喫した。
2010年 雪質がよい「尾瀬岩鞍スキー場」にて、ツアーを実施。ゲレンデ内の「ロッジかぶらぎ」を利用し、再び「シーズン2回のツアー」実施に!
2013年 上越新幹線で越後湯沢「岩原スキー場」にて、ツアーを実施。

「声のきずな」年表

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「声のきずな」写真集

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30周年記念誌

本ページの「30年を振り返って」と「声のきずな」年表・写真集をまとめました。
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10周年記念誌

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10周年記念手記

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